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2013年06月バレーボール43: ミュンヘン男子世代 (152) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【興奮】思い出の名勝負【感動】 (142)
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川岡美由紀 (159)

ミュンヘン男子世代


1 :2013/03/13 〜 最終レス :2013/06/14
一世を風靡したミュンヘン五輪男子バレーを語りましょう。

2 :
2コリッチ

3 :
むさいのとと暑苦しいのと不細工ばっかりだったな
プリンス嶋岡も微妙でしたで

4 :
でも、当時は凄い人気でした。嶋岡さんはセブンティーンで好きな男性アイドルでベストテンに入るくらい。
ルックだけだと嶋岡さん、森田さんくらいですかね。南さんも渋い大人の男って感じがした。
大古さんは角刈りでやっちゃん風、横田さんは目が細くてそれ程イケメンとは思えませんでした。

5 :
ミュンヘンの試合フル動画は昔過ぎてどのサイトにも上がってないんだよな…。
決勝の相手が東独というのも関係してるかも。
バレー人気が高いロシア、ポーランド、ブルガリアあたりが決勝の相手だったら熱狂的なファンが動画を上げてくれるはずなんだけどね。

6 :
動画はないですねえ。私も探してみたのですが大古さんが監督をやっていた時に、「情熱大陸」という番組で取りあげた動画しか
見当たりませんでした。NHKが東洋の魔女の東京五輪決勝をやったように、ミュンヘン決勝もやってくれると嬉しいのですが。

7 :
レフト  大古 横田 佐藤 野口(ピンサ)
センター 森田 深尾 中村 西本 南
補助   木村 嶋岡
セッター 猫だ

8 :
猫田 世界一のセッター、伝説のセッター、天井サーブの生みの親、後の名セッターソ連のザイツェフに墓参りもされるほど(笑)
森田 一人時間差の生みの親、世界一のドライブサーブ
木村 Bクイックの生みの親
大古 世界の大砲、Z攻撃の生みの親
横田 森田とのダブルクイックを世界で初めて考案
中村 闘将
南 伝説の準決勝ブルガリア戦大逆転劇の立役者

9 :
背番号1 :南 将之 192cm 旭化成
背番号2 :猫田勝敏 179cm 専売広島
背番号3 :中村祐造(主将) 183cm 新日鉄
背番号4 :西本哲雄 190cm 専売広島
背番号5 :木村憲治 185cm 松下電器
背番号6 :深尾吉英 196cm 東レ九鱗会
背番号7 :野口泰弘 185cm 松下電器
背番号8 :森田淳悟 194cm 日本鋼管
背番号9 :横田忠義 194cm 松下電器
背番号10:大古誠司194cm 日本鋼管
背番号11:佐藤哲夫198cm 富士フィルム
背番号12:嶋岡健治185cm 日本鋼管

10 :
1972年ミュンヘン五輪男子バレーボール金メダルメンバー
平均身長189.5cm

11 :
1972年ミュンヘン五輪メンバー平均身長
金メダル日本 190.0cm
最長身チーム 191.2cm(チェコスロバキア)
1972年ミュンヘン五輪メンバー平均年齢
金メダル日本 25.5歳
最年長チーム 26.8歳
最年少チーム 22.3歳
2012年ロンドン五輪メンバー平均身長
金メダルロシア 200.8cm
最長身チーム 200.8cm(ロシア)
2012年ロンドン五輪メンバー平均年齢
金メダルロシア 27.87歳
最年長チーム 31.34歳
最年少チーム 24.84歳
http://www.fivb.org/en/technical/olympics/2012/men/

12 :
2012年ロンドン五輪世界最終予選全日本男子メンバー
WS 石島197cm福澤189cm米山185cm越谷185cm
MB 山村205cm松本193cm富松191cm
OP 清水192cm山本201cm
S 宇佐美184cm近藤187cm
L 永野176cm
平均身長190.4cm(リベロ含む)193.3cm(リベロ除く)

13 :
1972年ミュンヘン五輪メンバー平均身長
金メダル日本 190.0cm
最長身チーム 191.2cm(チェコスロバキア)
1972年ミュンヘン五輪メンバー平均年齢
金メダル日本 25.5歳
最年長チーム 26.8歳
最年少チーム 22.3歳
2012年ロンドン五輪メンバー平均身長
金メダルロシア 200.8cm(リベロ含む)202.5cm(リベロ除く)
最長身チーム 200.8cm(ロシア)
2012年ロンドン五輪メンバー平均年齢
金メダルロシア 27.87歳
最年長チーム 31.34歳
最年少チーム 24.84歳
http://www.fivb.org/en/technical/olympics/2012/men/

14 :
ミュンヘンメンバーは当時世界屈指の大型チームだった

15 :
20年前の全日本と平均身長変わらないと思っていたが、40年前から変わっていなかったんだな…。

16 :
乙です。
木村さんは小泉さんと一緒にBクイックを考案したんでしたね。
小泉さんは松平監督お気に入りの選手で(松平さんは独創性の高い選手を好みました)、
最後までメンバーに残すかどうか悩んだそうですね。

17 :
ミュンヘンあげ

18 :
子供だったんでよく憶えてないが何かの記事で松平さんは横田大古森田の194cm
3枚が揃ったことを奇跡と言っていた

19 :
ちなみに
男子バスケミュンヘン代表メンバー平均身長
188.1cm
2013アジアカップ代表メンバー平均身長
195.3cm

20 :
若い娘っ子に人気あったのは大古、横田、森田の三羽烏と嶋岡
南、中村、猫田は玄人受けするタイプ
若手センターの深尾と西本は対照的で
深尾は若い女性にもて筋だったけど西本は当時から地味だった
木村、佐藤、野口は…

21 :
現役プレーヤーだと誰が近いかな?
森田は富松?大古は石島?嶋岡は米山兄とか?

22 :
嶋岡は八子かな?
他は思い浮かばないなあ

23 :
猫田は朝長

24 :
>>21
大古はゴッツみたいに感情を表に出すタイプじゃなかった
結構苦労して育ったらしく人柄が地味で黙々と仕事するタイプ
見た目は全然違うが松本かな

25 :
>>21
時代が違いすぎてちょっと比較が難しいですね。大古さんに一番近いと思うのは、古いけどガイチ。
直接指導を受けてエースの在り方をたたき込まれました。
森田さんみたいにクリエイティブなプレイヤーは今の日本では見当たらないですねえ。
佐藤さんの息子さんはバスケット選手。日本と準決勝で死闘を繰り広げたブルガリアのエース、
ズラタノフ選手の息子さんはイタリア代表選手ですね。

26 :
大古〜田中〜ガイチ
この流れだと福澤ですかね
森田タイプと横田タイプはいませんね?
今だけじゃなくてその後出てないような
森田は多彩な速攻とブロックも良かったしサーブも豪速サーブで
結構マルチプレーヤーでしたね
比較的近かったのは植田?
横田は大古ほどパワーなかったけど、その分切れがありました

27 :
ズラタノフ
オカッパ頭で、角ばった顔で、タラコくちびるのw
ブルガリアのエースでしたね
ソ連のザイチェフの息子もイタリア代表でしたね

28 :
日本のエースは大古→田中→中垣内という流れだけど、
幹保は大古ー中垣内とはタイプが違う
大人しく淡々とプレーする選手で精神的にも頼りなかった
幹保のメンタルは教え子の山本隆弘に似ている

29 :
森田さんみたいにオールラウンドで華麗なプレイをし、一人時間差やランニング・ドライブサーブなど創造性のある選手は
今は見当たらないですね。横田さんのように力でねじ伏せるタイプというとゴリなんかは近いかも。

30 :
キャラは違うけど、三橋が近かったかな森田に
今はリベロ制の導入などでセンターはとにかく大型化ありきで、
ああいう高さとパワーよりも技で勝負するセンタープレイヤーはいなくなったな

31 :
おやおや、諸説出てきたねw
横田は力でねじ伏せるっていうより
むしろ青山タイプだったような印象があるけど。
三橋と森田もちょっと違うんじゃ。。
三橋のほうが機動力で勝負する感じで。。。
確かにセンターの働きが単純化されましたね
高いクイックとブロックがあればいいみたいな

32 :
横田さんは生でプレイを見たことがありますが、凄いパワースパイカーでしたよ。

33 :
横田と青山は違うでしょ
青山は今でいう米山だな

34 :
日本には青山タイプのアタッカーが多いですね
JTの原が源流かな

35 :
日本男子バレーエース系譜
大古→田中→中垣内→山本→清水

36 :
1980年モスクワ五輪決勝ソ連VSブルガリア
ソ連チーム
レフト ドロホフ モリボガ
センター ロール サヴィン→パンチェンコ
ライト エルミロフ→チェルニショフ→セリバノフ
セッター ザイツェフ
控え コンドラ クリヴォフ ラシチョノフ
監督 プラトーノフ
@Olympics_1980_Volleyball_Men_Final_USSR-Bulgaria.mpg
http://www.youtube.com/watch?v=7O-8bmrix2A
ブルガリアチームの3番がキャプテンでエースの
ディミタル・ズラタノフ

37 :
ドロホフって懐かしいな。松平さんは彼のルックスの良さをもじって「アラン・ドロホフ」って呼んでました。
当時はハンサムな男性と言えばアラン・ドロン。榊原郁恵さんも唄ってました。

38 :
今見てもウラジーミル・ドロホフは爽やかなイケメンだよな
彼のプレースタイルも攻守に長けたオールラウンダーで
ソ連ロシアのバレー選手の中では珍しいタイプだった
今だとユーリ・ベレジュコがタイプ的に近いかな

39 :
サヴィンのBクイックは今見ても速くて高いね
松平さんも森田さんも絶賛してたっけ

40 :
1976年モントリオール五輪
Official Volleyball Technical film from the Olympic Games 1976
http://www.youtube.com/watch?v=6so6S4FlE4Y

41 :
モントリオールはミッキーと横田パパがレフトだったね
大古はリザーブ
監督に嫌われたって噂あったけどどうなの?

42 :
80年モスクワ五輪最終予選のレフトは大古と田中幹保
セッターに猫田
センターに森田惇悟
監督は松平康隆
ピーク過ぎたミュンヘン組勢揃いで史上初の予選落ち

43 :
41の質問にまったく関係ない42のレス
こういうのがっかりするわー

44 :
田中幹保って84年ロス五輪でもレフトエースだったよな
当時にしては息が長い選手だった

45 :
>>42
大古は74世のときに小山監督から「大古は代表に選ばない」と云われたことがあって結局はその大会で
最終的に大古は代表入りは果たしたのだが、その一件以降はずっと小山監督と大古はギクシャクした関係が
続いていたんではなかったのではなかろうか?
小山がそのとき大古を代表に選ばなかった訳は簡単に云えば大古が生意気だったから。
これはあだしの推測だが、大古は72ミュンで松平一家のエースとして金メダルを獲得した後に日本鋼管から
サントリーに移籍をしたりして社会を騒がせた。当然、バレー関係者も。そんなことがあったので小山が大古
の取り扱いに苦慮してしまい、大古がいると面倒だ、となって外したのだろう。大古も性格が生意気なところがあったみたいだったからね。
>>1
ミュンヘン世代って何ですか?
ミュンヘン五輪の時代の事を語ることができる人達の事ですか?
そういえばミュンヘンで金メダルを獲得した直後には男子バレーボールチームはアマチュア違反で世間から叩かれて
その後に大古のサントリー移籍問題がありそしてその後、大古を代表から外す発言があって1971年頃から
1976年頃までは本当に男子バレーは世間から色々な意味で注目をされていた気がしたが、どうか?

46 :
>>41
横田はスパイク時に肘が前に出すぎる癖があったので打点が下がってた
本来ならもっと高さのあるスパイクを打てたのに、とっても残念な選手だった。
けどあだしは、横田のスパイクを見てとっても勉強になったんだよね
ジャンプ力、背の高さ、指高の高さだけを見て、この選手は高さがあるとかないとか云々するのは
とってもナンセンスな事である、と。
女子の白井さんなんかは横田とは全く反対のタイプの選手であったね
スパイクの時には腕を真っ直ぐ真上に伸ばして上から手首だけで打っていたから。
白井なんかはネットから50センチくらいのところにトスを上げると高さを活かしたスパイクを打てたんではなかろうか?
松田は日立体育館で白井にトスを上げるときは結構大変だったのではなかろうか?
なぜなら普通の選手では打てないようなトスを白井は好むのだから。

47 :
 
 
>>45-46
気色悪いわよ。 
 
 

48 :
ミュンヘンの時って選手の身長をだいぶ誤魔化して平均身長190オウバーで世界一の高さ!!
とかって後先考えずにやっていたからその後7-8年間くらいは、あれれれてのが結構あった気がする。
1970年代後半頃に193の田中義則ってのが出たときに大古なんかと並ぶと田中のが大古よりも数センチ
小さいはずなのに田中のが大きく見えたり、それまで197を公式記録としていた岩田の身長が1980年の
新生全日本の記録から195になってしまったり(他には山田修司190→187、花輪192→190)になったりして。
兎に角あの頃は日本が弱くなっていた、というのもあったが色々と舞台裏の事情や醜い事情が一般人の前に
思い切り晒されてしまっていた、という感じだった。
幹康の旦那だって当初は195で登録していたのに最後の方では193になっていたし。w
76モンの時に198の小田と194の大古が並ぶと7-8センチくらいの差があるようにあだしには見えたんだけど
あれは正しかったのかナ wと云う感じだ。

アランドロホフとかアルパチーノブコフなんかのお話よりもあだしのお話の方が楽しいだろっ

49 :
 
 
>>48
つまらないからRいいのよ。 
 

50 :
全日本男子ってミュンヘン以降どんどん大きな若手の選手が全日本に選ばれていたのに
それらの選手らが入った全日本の平均身長は、ミュンヘンの時のメンバーの平均よりもやや低い
というのが多かったですよね。
187とか188とかw
ミュンヘンの時の平均身長は190オウバーって云ってたのにね
まさか本当は187しかなかったのにオウバーに云って190とかにしていたのかしら?
んなことないよね w
だってみんな、スポーツマンなんだから。そもそもそんなことしたってやってる奴の身長が186しきゃなかったらそんなの全く意味がない事だと思うし。
あだしはアランドロホフよりもサービンとザイチェフそしてやっぱり中国の暴れん坊曹平と韓国のセッターの
金こう哲が良かったかナ。ブラジルのライズマンもなかなか渋いプレイヤーで格好よかったが。

51 :
 
 
>>50
どれもあちこちからの盗用ね。聞いた様な話ばかりでつまらないわよ、おじさん。早く人生から引退なさい。 
 
 

52 :

本当はこいつってあだしのレスを読んで腹をかかえて笑っちゃってるくせに
PCの前で
190オウバーって書き込むとすぐにレスがつくのはなぜ ?なのか?

53 :
 
 
>>50
どれもあちこちからの盗用ね。聞いた様な話ばかりでつまらないわよ、おじさん。早く人生から引退なさい。 
 
 

54 :
はじめてそれを聞くって人もいるかと思ってね
やっぱり をかまのイトーは相変わらずだわ
ミュンヘンのときの全日本男子の平均身長は190オウバーあって世界一高かったから日本は大きかったんだよ
全然小さくなんかなかったんだよw
ってか。
こういうのとっても恥ずかしいもんナ

55 :
  
>>54
気持ち悪いわ実際。話に中身がないあなたらしいけど。いい年して。 
 
 

56 :
をかまのイトーは
あだしが6-7年前に、「日本の女子はもう少し守備が良くなり、精神面でも強くなれば世界3位を獲得することができる」
とこの板のあるスレに書き込みをしたときに「そんなのは無理、昔と違って今は世界には強豪国が15以上あるのだから」
と云ったがそれから数年したら日本は2010世バレーで世界第3位になったよね。そして2012ロンドンでも
また日本は3位を獲得した。
あだしはこのことを通してこんな風に思っていたんだよね!
をかまのイトーは2010世バレーで日本が3位になったときにすぐさまあだしに謝罪をするか、即刻あだしの
弟子になるか、この板からさっさと出て行くかのどれかを選択するべきだった、と。
こうして考えてみるともう、6-7年はこのあだしに勝てていないってことになるんだナ
をかまのイトーは。。。。
イトーって本当はバレーの経験は全くなかったんだろ?
全日本クラスのバレー観戦をはじめたのは、三橋河合世代の選手が全日本でやっていた頃の1980年代初頭の頃からだったんだろ?
ズバリだろ!!

57 :
ゴメン!!なっ
何も云うことができないようなレスをしてしまって。。。。
強烈〜
ってかw

58 :
Munich

59 :
日本人て第二次世界大戦の時に戦った欧米人を間近で見た時、こいつらって本当にデカイなって
思ったのだろう。そしてその戦争で日本はアメリカにやられた。それ以降、日本人は自分らの背か低い事や
スタイルが悪い事(胴長短足)であることに対して心の底からコンプレックスを抱いたのではないか。
東京五輪があった1964年は終戦から約20年間が経過していたのだが、この頃から全日本の男子の
スタッフに加わった松平氏も、日本人は背が低いから外国チームに勝てないのだ、と。そんな気持ちを抱きつつ
東京五輪を終えたのだろう。このことや松平の自らの戦争体験を通して、日本も早く大型選手を育成して、
次の五輪で戦わなければ、と。それで臨んだのが68メキシコだった、と。
しかしこの頃の大古横田森田はまだ若くキャリアもなかったので2位という成績で終わったのだろう。
そしてその4年後のミュンヘンで優勝できたので松平はその頃にそれまでの思いを当時、ぶつけていたんだと思うがどうか?。

60 :
72年ミュンヘン終了後に全日本男子バレーボールチームは、その大会の打ち上げということで
芸者をあげてメンバー全員でお疲れさん会をしたのだが、その写真が週刊雑誌に掲載されてしまった。
また、メンバーの手形やサインが少年漫画雑誌にも掲載された。そして選手のプライベートタイムを撮った
という写真も少年漫画雑誌に掲載されたのだが、その写真はというと、森田が、ギターをつま弾くだけのものだった。
のにこれが、アマチュアのスポーツマンとは真にけしからん!となり、男子はアマチュア法違反に抵触するとかって
当時、大騒ぎになっていたことがあったんだよね。こんなことは現在40代後半以上の人間しか知らない、と思うけど。w
芸者と選手らがダンスをしている姿の写真が掲載された事が、発端となりアマチュア法違反という問題になったのだが、
この事にしても、松平さんは、そこに居合わせたマスコミに対してこの会の事は一切、写真に載せない、
記事にもしない、ということでマスコミを同伴させたらしいのに。そんな約束があったのに、あっさりと裏切られた、と後日松平さんは
語ってましたね。まぁ、あの時の事は、どれもこれも男子バレーが金メダルを獲得したのでそれに対する、やっかみからそうなったのだろう、と。
当時からそんな感じでバレー界の人達は云ってましたがね。(水泳連盟がどうやら怪しい、と)???

61 :
けど、アマチュア法違反って一体なんだったのだろか?
違反したからと云ってもそもそもそれに対する罰則など何もないのにね
アマチュア法という法律自体、存在してなかったのではないか?
なのに当時の国民の世論は色々だった。
アマチュア選手としての自覚に欠けるとか、品位に欠けるとかw
若いバレー選手がプロの芸者を宴会に呼び、一緒に踊りやダンスをしちゃうとはとかwwって。
バレー選手だってギターを弾いたりするくらいの事はあるだろっ
そしてそんなプライベートな写真を雑誌に掲載されたくらいのことでアマチュア云々という言葉を持ち出して騒ぐのは何なんだろう、と。
あだしは当時は思っていたが、一般国民の年配者なんかは、男子バレーチームは生意気だって意見も多かったんでないかな?。
今思えば少しくだらないことだったね、時代だったのか、こんなのも。しかしこの騒ぎも一年もしないうちに消えたんでなかったか?
でも大古がその翌年の73年に日本鋼管からサントリーに移籍をしたのでまた世間が少し騒いだ。そして>>45で書いた通り
の事があったのでまた世間が少し騒いで社会現象にまでなったんでなかったか?
・大古さんを代表から外さないで、との署名活動が東京体育館の前で女子大生が中心になって行なわれたり
・渋谷にあったバレー協会の電話がパンクするほど、『大古を全日本へ戻して』とかかって来たとか、そんなのを当時あだしは、聞いた覚えがあるけどね。
森田は森田で、『僕はこれから全日本選手として代表に選ばれたとしても代表から辞退します』と。
『社業に専念したいので』と。『なので、鋼管ではまだバレーは続けます』と云って本当にその通り実行したんだよね。
森田さん、素敵〜  鋼管でバレーを続けるんだったら全日本でもプレーをすればよかろうに、と世論は色々だったけど。

62 :
大古を全日本に選ばないと、その理由を聞かれた小山監督は
『大古は協調性がないから』と云ったんだよね。そしたらそれに対してあの松平さんは
『大物選手というのは少々異端なところがあって当たり前、そういうものなんですよ』と
『そんな理由で代表に選ばない、としたら全員が全員ダメってことになってしまいますよ』
『それに全日本の監督が、エースの選手に対して協調性がないなどと口が裂けても云ってはいけない事だ』
とも。あれで小山は少し挫けちゃって74世以降76オでもいい成績を獲ることができなかったのではないかってあだしは思ってた。が、小山ってそもそも監督としての器がなかった人間だったのかもよ?。
72ミュンの時は女子の全日本監督候補にもなっていてほぼ、小山に決まりかけたのに、小島山田船山の争いが
どうとかこうとか、女子の世界は陰険だからもう僕にはやってられませんとか云ってたくらいだったから。
で、ミュンの女子の監督は小島さんになったわけだが。しかしこれも前田健と小島の間で最初から裏取引があったのではないか、
ってのが定説みたいですがね。
いいねぇ〜イトーは。今まで何も知らなかったことを次から次へと色々あだしから教えて貰えて。

63 :
小山監督って存在感があまりなかったよね? 華がない、いつもボソッとした感じで暗い印象だった。
松平にしても山田にしても、小島船山、さらに真鍋なんかにはカリスマ性があるでないか?
他の国の監督ならソ連のカルポリとかアメリカのセリンジャーそれに中国の袁偉民もそうだった。
何か人を惹きつけるものを持っていたでしょ、個性的な人間だったと云ってもいいのだが。
そういうのが監督をやるような人間にはないとやっぱりチームは強くはならないんじゃないかってバレーを長いこと見ていると思うんだよね。

64 :
 
 
見事なまでに相手にされてないわね、あなた(苦笑)。
確かにつまらないものに相手するほど、誰も彼も暇じゃないからね。
いさぎよく氏んだらどうかしら。少なくとも空しさはなくなるはずよオジサン(苦笑)。 
 

65 :
けど、この72ミュンヘンの時代の頃のお話をすることができる人間て年々、減って来ているのではないか
ってあだしは思うんですよね?。72年に40歳だった人間なら現在は80すぎの老人になるんだから。
あらっまぁ、あだしが書いた>>62の最後の方、間違えてた!!
訂正です。
前田健ではなくて前田豊
前田健は前田豊さんの息子さん
前田豊氏が72ミュンの時の全日本女子の監督を決めるときに小島監督と裏取引をしたのだった。
この前田さんて人は68メキシコ五輪のときは女子の山田監督と共に総監督という立場で五輪に同行した人だったしその後はバレー協会のトップで活躍していた人だったからこの頃から協会では実力者だったのではないか?。
ということはその前田氏が、山田も小山も選ばずに、小島を選んだということになる。そんなのを振り返って
考えると、山田監督は若い頃からかなり生意気なところがあった曲者だったのではないか、という気がしてくるのだが、どうか?。
しかし世界一になるような人物はそのくらいの人間でなければ世界一にはなれないのかもナ。松平的な考えなら w

66 :
松平さんは監督を辞めた後に、バレーの教本や組織論、リーダーとは、というような書籍を沢山
執筆していたがその中にこんな一文があった。『選手は監督に対して「不平を云ってもいいが、不満は云うな」』と。
今あだしはこのフレーズしか思い出せないのだが確かにそう書いてあったのです。
その後に不平と不満は違うのだと、解説もしていた。不平とは云々、不満とは云々だと。だから不平なら云ってもいいが、不満は絶対に云うなと。
残念なことにあだしはその云々のところの文章が何て書いてあったのかを忘れてしまった。(健忘症かw)
ところでここにお集まりの皆さん!!
不平と不満の違い、この2つの違いを端的に説明することができる方って誰かおりませんかね?
なら、アタシならこう思う、間違ってるかも知れないが、こうなんじゃないか?というご意見でもいいのですが。
そんなのがあったなら ↓に書いてもらいたいのですが?(あだしはこのスレのスレ主ではないのにまた仕切りを入れてるし)

67 :
 
 
相手にされないって、みじめだわね。氏になさいよ。 
 
 

68 :
真鍋政義にカリスマ性はないでしょ
現役時代もすごく地味だったしね
葛和、吉川、柳本なんて論外
小山勉はソウルでも全日本監督やったけど、別に暗そうとは感じなかった
無能そうだとは感じたけど(笑)

69 :
アラン・ドロホフ大好きだった
ソ連選手っぽくなくて爽やかな感じが

70 :
1976年モントリオール五輪決勝ポーランドVSソ連
USSR - Poland 1976 Olympic Championship, Final
http://www.youtube.com/watch?v=DxSr-bbbyp4
1976 USSR - Poland Olympic Championship Final
http://www.youtube.com/watch?v=UkxOZ1wcv9I

71 :
1976年モントリオール五輪
Official Volleyball Technical film from the Olympic Games 1976
http://www.youtube.com/watch?v=6so6S4FlE4Y

72 :
1980年モスクワ五輪決勝ソ連VSブルガリア
ソ連チーム
レフト ドロホフ モリボガ
センター ロール サヴィン→パンチェンコ
ライト エルミロフ→チェルニショフ→セリバノフ
セッター ザイツェフ
控え コンドラ クリヴォフ ラシチョノフ
監督 プラトーノフ
@Olympics_1980_Volleyball_Men_Final_USSR-Bulgaria.mpg
http://www.youtube.com/watch?v=7O-8bmrix2A
ブルガリアチームの3番がキャプテンでエースの
ディミタル・ズラタノフ

73 :
ミュンヘン開幕戦
大古 猫田 森田
深尾 木村 横田

74 :
↑ルーマニア戦ね

75 :
モントリオールの決勝戦も第4セットソ連の2回のマッチポイントを凌いで19―17で制しての大逆転勝利でバレー史上に残る試合だった
このモントリオールの金メダルがポーランドにとって男女通じて唯一の金メダルで、ポーランド男子にとっては唯一のメダル獲得になっている
惜しくも敗れたソ連だが、もともとモントリオールのチームは次回の自国開催モスクワ大会のために作られた若手中心のメンバーで、
モントリオールのメンバー12人中8人がモスクワ大会に出場して無事金メダルを奪回する結果となった。

76 :
>>68
小山監督はやっぱり暗かったよ。
松平なんかはチームが連敗していても、周囲の人間に対しては、これからですから、これから
みたいなスタンスで接していた気がするんだけど小山は自分の胸の内苦しさをモロに出してた、という感じがしたから。
松平だって連敗したときは苦しかったはずなんだろうけど、そういったのをモロに他人に見せるタイプの人間
では無かった気がする。それが小山と松平の違いで陽と陰の違いであったとも思うんだわ。

77 :
世界で初めてバックアタックを考案、披露したトマシュ・ボイトビッチ擁するモントリオールのポーランド男子チーム

78 :
1961年に松平さんがまだ全日本男子のコーチだった頃、全日本女子チームと帯同してポーランド、チェコ
スロバキア、ルーマニアそしてソ連などの欧州に試合に行った事があったらしいですね。そのときの女子の
成績は22戦全勝であったのに、男子は22連敗だった、と。
そんな試合結果だったので男子選手らは皆自信を失くしてうなだれた状態で試合をしていたんだと w。
出された食事の肉なんかを見ても男子の選手は『女子の方がでかくないか?』と、そんな僻んだ事まで云ってたらしい。
その後、市川昂監督が1964年の東京五輪の記録映画を撮る、ということになって男子バレーボールチームも
度々その撮影のために取材などに協力していたのに、五輪が終わってその映画を観たら、バレーボールは
女子のことしか取り上げられてなかった、と。松平はこの時に、メダルを獲っても銅メダルなんかじゃだめなんだ、と
金メダルでなければ意味がないんだと思い、68年で銀をそして72年で優勝する事ができた、といつかあだしが聴きに行った松平の講演会で語っていましたね。
それ以来松平は市川昂の映画は一度も観なかったwとも云ってたもんナ。
>>77
今更そんなのを書いたって白々しいだけですよ
だって飯田の事も知らなかったのですから w
イトーは。

79 :
ボイトビッチがやってた頃のボイトビッチのバックアタックは前衛のアタッカーと絡めて速いトスをバックから
ブロードして打つ、って感じのスパイクではなく高いトスをスパイクラインとネットの真ん中付近にオーソドックスに
上げて、それをボイトビッチが豪快に打つって攻撃だった。
それが少しずつ改良してコンビバレーの中に取り入れられたんだよね、バックアタックは。
ボイトビッチがやってた頃のバックアタックは本当に高いトスだったから日本人にはあんなのはできない、
という感じに見えたもんだったが今なんかだと日本の女子の江畑なんかでもやっている。
バックアタックを今のように改良してコンビバレーの中に取り込んだのはロス五輪のときのアメリカ男子
チームだったのか?。88ソウルの時には女子のロシアなんかが普通にやってた記憶があったがどうか?。

80 :
誰だよイトーってw

81 :
その後どんどん進化して複雑なコンビ攻撃に絡め且つ、トスのスピードを速くしている
それをやっているのが日本女子の真鍋監督でもあるわけだが。こういったのって何でもそうなんでしょうね
日本の男子が最初にやったコンビネーションバレーもそうだったし、それを女子に取り入れたのもそうだった。
ジャンプサーブなんかもそれをやりだしたのがどこの国だったか忘れたけど、最初にどこかのチームが
やるとすぐにそれを別の国が真似してやるんだよね。で、その攻撃の戦法が特別な物でなくなる。
真似するチームは本家本元以上のプレーをすぐに開発して真似をするから。
日本の松平監督なんかも68でコンビバレーをやった頃はどこの国もこのコンビバレーは真似をできない、
と云っていた。真似をする事ができないとも。
しかし日本男子が72で金を獲得したらすぐにそれは世界中に広がった。そうなったら松平さんは
『金メダルを獲得したチームのプレーは真似されてしまうものなのだ』 wと
訂正したけれど。
確かに長いことバレーを観ているとその通りなのかも、とあだしも思う。
72年後、世界的に男女を問わずコンビバレーが流行した
76年後、バックアタックをどのチームもやりだした

82 :
って書いて今、思い出したことがあったんだわ。
少しそれを書きますね
1970年の初頭の頃までは○○チームはソ連型のバレーをする、とか日本型のバレーをするとかアジア型
のバレーをするとかこういった云い方をしていたけどこういったのって1980年代頃から徐々にしなくなった。
1970年代まではオープン攻撃主体で攻めてくるから速いのはノーマークでもいいですね、
速いのは滅多にやって来ないから、とか。
そんな感じで試合前に日本の解説者は云ってたもんだった。例えば81wcの時なんかだとブラジル女子は
速攻はまずやって来ないとかって云われていたけど今なんかだと本当に速い攻撃を良くやって来る。
こう考えると日本が弱くなったのではなくて世界の進化に日本がついて行けなくなったとそんな感じだったのかも知れませんね。
進化について行けない、ということが弱くなったことだと云ってしまえばそれまでですが。w

83 :
キューバ戦スタメン
嶋岡 深尾 大古
横田 森田 猫田

84 :
 
 
相変わらず誰からも相手にされてないようね。
同じ事を何度もクドクドと書いてりゃそれは相手にされないわよ。
老人なんだから少し世間の道理をわきまえなさい。
 
 

85 :
深尾吉英ってレギュラーだったっけ?森田淳悟の対角で
全然印象にない
ミュンヘンは猫田、大古、森田、横田のイメージ

86 :
70年代の男子バレーって不思議なもので、対戦国による相性がはっきりしていた
とにかく松平康隆監督率いる全日本はソ連が大の苦手だった
ソ連以外には勝てていたが、ソ連にはなかなか勝てなかった
72年ミュンヘンでは準決勝でブルガリア、決勝で東ドイツを下して優勝したが、決勝の相手がソ連だったら分からなかった
逆にソ連は日本には強かったが、東ドイツが苦手だった
結果ソ連は準決勝で東ドイツに負けた
そして日本は東ドイツに相性が良かった
決勝の相手が東ドイツで本当に良かった(笑)

87 :
76年モントリオールでも日本は予選でソ連にストレート負け
しかし準決勝では優勝したポーランドとフルセットの死闘を展開した
結果ポーランドに競り負け、そのショックから三位決定戦ではキューバに完敗
もし決勝に進出したらおそらくソ連には負けていたと思うが、メダルは確定で、ポーランド戦は悔しい敗戦だった
勝てた試合だっただけに・・・

88 :
ミュンヘンのときの日本男子は確かに優勝をしたが、実力的に云ったら世界第5位くらいの実力
だったんでなかろうか?。昔日本でやっていたWCの試合形式でやったらば、即ち世界のトップ8の
総当たりで試合をしたら日本は3位から5位くらいだった気がする。
その程度の実力しかなかった。なのに72ではグループ分けの関係でラッキーで優勝することができたのだ
とそんな感じだったからね。
なので76で4位になったときは実力通りだったとあだしは思ったよ
当時のバレーファンの中には、3位には入ると思ったのになぜ?とか云ってるのもいたけど
日本にはそれほどの実力はなかったよ。
72ミュンで金を獲って日本男子はその時点で人生のラッキーを使い果たしたんだね、きっと。w
と、あだしは思ったもんだった。
いいじゃないか4年前は実力は3−5位くらいしかないのに1位を獲得したんだから、と。
今回は実力通りだっただけなんだから、と。
奇跡なんて2回も連続して起こるはずはない!!

89 :
77WCのときは地元開催であの森田が復帰したというのもあって日本男子は74世から3年ぶりに
銀メダルを獲得したが、78世では11位まで堕ちてしまったのだからやっぱり日本はそれほど実力は
なかったのではないか。と云うか72年以降急速に他国が実力をつけてきたって感じだった。78世のとき
なんてイタリアなんて弱小チームだと大会前は思われていたのに日本はそのイタリアに破れあれよあれよ
というまに9位以下のグループで戦うことになってしまった。イタリアはイタリアでその後も76モンで3位
だったキューバにも勝ち決勝へ進出した。決勝はソ連だったので勝つ事はできなかったが、イタリアはその
大会で準優勝を飾ってしまった。本来なら日本が2位でイタリアが11位でもおかしくはないと。過去の
成績だけを見ればそんな感じだったはずなのに。
しかし日本はその後も低迷が続き1980年の五輪の出場権は獲れなかったのだから78世の日本の11位は
やっぱり実力だったのだろうナ。

90 :
 
 
相変わらず気持ち悪いわね。 
 
 

91 :
日本の男子バレーは昔は強かった、とそんな印象だけが今も残ってるのだがこのように
1964年から1978年までのバレー史を振り返ってみると、確かに強かった時期もあったのだが、
そんなのは一時の事であり1980年代の男子のソ連やアメリカそして女子の中国チームのような
感じの強さではなかったのだ、と。
圧倒的な強さがあったのではなかった、という事になるのだろうね。まぁそもそも男子バレーの世界は、
いつの時代も常に5から10カ国くらいの強豪国がひしめいていて3大会で優勝できる可能性を秘めていた
チームも4-5チーム常にあったのだから。
つまりの日本男子は72ミュンで優勝したときだけ、その4-5チームに入っていたと云う事になるんだろうナ。

92 :
 
 
相変わらず気持ち悪いわね。 
 
 

93 :
松平監督は数年前に出した石原都知事との対談本の『鍛える』の中でこんな事を述べていた。
『72ミュンヘンでの日本チームは東京五輪から8ヵ年計画で金メダルを獲得するためだけのチームだった
のあの時のメンバーや戦法で日本が未来永劫まで金メダルを獲り続けられるとは思ってはいませんでした。
将来の全日本については私の次に監督をやる人に任せればいいと思ってましたから』と。
つまりあの時は外国チームの高さに対抗するために時間差やABCDの速攻やZ攻撃を編み出したのだと。
『囮にジャンプさせて敵のブロックを引きつけてその間の0.何秒かの時間のスキに別のスパイカーが打つという
時間差攻撃は松本清張の小説、点と線の発想と全く同じなんですよ』
とも書いてあったが、こうぃうのってどちらも如何にも日本人的な発想だナってあだしは思ったもんナ。
セコイというか緻密というか、ね。

94 :
でも結局そういう技を開発しても数年後には身体能力のはるかに優る欧米勢に模倣されるんだよな
↑上の動画見れば分かるが、72年ミュンヘンの4年後のモントリオールでは、ソ連やポーランドもB,Cクイックを使っている
さらに4年後の80年にはソ連とブルガリアは一人時間差を多用するようになった
日本の技術開発は70年代で終わり
80年代からはアメリカがセッター対角に攻撃専門の選手(スーパーエース)を置く、
データバレー、リードブロックを開発
80年代以降の日本は逆に世界の技術を後追いするようになった
当然後追いする側の日本が世界トップクラスにはなれるはずもないわけで今に至る

95 :
そうなるね
日本人より大きなのが真似をしたら日本人は敵わなくなる。そんなのは当たり前だ
そもそも日本は大型の相手選手のブロックをかわすために考えた戦法だったのだから。
しかし日本にも76年頃まではかなりの油断があったと思う。そしてそれがいけなかったとも思うんだわ。
他国が日本のコンビバレーの真似をし始めた頃ってとんでもなく下手だったでないか?
そんなのを見て日本は真似をした外国チームのことを当時は
「守備が下手糞なキューバにはコンビバレーなんて出来やしない」とか余裕をぶっこいていたでないか!!
あれがまずかった。
能天気に、偽者に本物が負けるわけがない、と云っていたからね
偉そうに。
たった一度、金メダルを獲っただけだったのに

96 :
 
 
氏んだみたいね、彼。 
 
 

97 :
あああとその石原さんとの対談の中で、最近の五輪選手らは、すぐにテレビCMに出て報酬を得てみたり、
国もメダルを獲ったら、数百万円の報酬を与えたりするシステムがあるので選手がタレントみたいになって
しまっているんではないかってお話があった。その時、松平氏は
『私は72の時は日本鋼管に所属していましたが、金メダルを獲得した時は会社からお祝いとして10万円を
貰っただけでそれ以外は何もどこからも、貰いませんでしたwが、私はそれで満足でした。そう自分はそんな
物よりも世界一を自らの手で獲得したという事で満足感や達成感がありましたのでそんなのはどうでも良かったのです』
と語っていましたよ。

98 :
ミュンヘンでは組み合わせにも恵まれていましたね。
予選では苦手なソ連とポーランドがいなかったことも大きかったと思います。
ポーランドは大会前のNHK杯で苦戦していたのでラッキーでした。
逆に強豪とは言え、相性の良かった東ドイツと同組。
決勝では想定していたソ連ではなく東ドイツが相手になったため、
対ソ戦の秘密兵器として温存していた野口選手を使わず終いでした。

99 :
あのときの東独チームって世界的に見たら強豪国の1つであったと思うが、
日本チームから見た、東独チームはカモ的存在だったからねぇ〜。
それなのにソ連はあの時の東独チームに対してかなりの苦手意識があった。
あの時の東独チームって攻撃は遅い攻撃ばかりで選手の身長もそれ程高くはなく
跳躍力が特別優れていて高さがあるというのでもなく、馬力も大して無かった。
なのになぜかその東独はソ連には勝ったのに日本には完敗した。
守備が下手糞でサーブも弱かったのかナ、東独チームは
兎に角東独は欧州のチームなのにひ弱な感じがするチームだった。

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